High-rise buildings before 1900 have about 5 stories (brick buildings), and after 1900 high-rise buildings have risen sharply to about 8 stories or more. Of course, there are special cases like the Skyline of the United States, which has not been at war for a long time. At that time, Tokyo Station was right after the war, and there were no landmark buildings like the Chrysler Building. It is safe to say that it is a forest of high-rise buildings. Think of a European city at the time. However, unlike Europe, in Japan, except for the center of Tokyo, wooden houses were still predominant, and concrete buildings were rapidly spreading after the war.
元KDD小山送信所の職員です。私が生まれる前年の映画として初めて知りました。アップ主に感謝です。現役の頃はこんな映画を作っていたとは露知らずです。タンクコイルの交換に台車で運び指を潰さないように先輩から注意されたのを昨日のように覚えています。
15:25BGMが不気味に変わると同時に太陽の黒点が現れるシーンは個人的には印象深い。
それに、無線通信で使われるアンテナやコイルなどの装置を美しく撮影しているのがいい。当時の子供達はこういう映画を見て科学技術への憧れを強く持ったに違いない。
こんなすごい映画今ないよなあ。「20:33電波は世界をつなぐ友情の絆」なんて名言すぎる。短波のすごさもわかる。
パッ、パ翼が、造らさないのでは?2番手以下は、駄目なんですか!😋
此の当時に、立民が存在していたならば、K 国涙(並みだ)クワバラ,クワバラ
短波(SW )は、凄いゾウ🐘
アルゼンチンの声 聴けるゾウ🐘
この映画に出てくる仕事に携わっていた人達は、当時としては時代の最先端の仕事で誇りをもって仕事をしていたのでしょうね。
1970年代にBCLが流行して、私も海外の短波による日本語放送をよく聴いたものです。BBCの日本語放送は放送終了の1991年まで聴いていました。短波はインターネットが登場するまで、私にとって海外の情勢を直接つかむ重要な手段でした。
ドキュメントや科学映画に音楽などで芸術的な演出するのは70年代初頭まで続きましたね。
今はSkypeなんて便利なツールがあるけど、私が新入社員の頃はすべて交換手を介しての通話でした。懐かしいですね。
UP有り難うございます。携帯がない頃、業務無線使っていました。
2アマ取ったのですが QRPに凝りまして 電信でon the air
今はWATCHだけです
電離層の発見は本当に素晴らしいことですね。最近は太陽活動も弱くなってしまい、なかなか黒点が発生しないので天文台の観望会も寂しい限りです。また、イオノグラムの映像には感動しました。現在ではNICTのWebページでいつでも見られますが、昔からの大変な努力があって現在があるのだと改めて感じました。
9:00から高層ビルがない東京駅周辺が映っていて感動する。形を変えていないビルもあるんだなあ。とグーグルアースで確かめてしまった。
High-rise buildings before 1900 have about 5 stories (brick buildings), and after 1900 high-rise buildings have risen sharply to about 8 stories or more. Of course, there are special cases like the Skyline of the United States, which has not been at war for a long time.
At that time, Tokyo Station was right after the war, and there were no landmark buildings like the Chrysler Building. It is safe to say that it is a forest of high-rise buildings. Think of a European city at the time. However, unlike Europe, in Japan, except for the center of Tokyo, wooden houses were still predominant, and concrete buildings were rapidly spreading after the war.
今はインターネットで海外の情報なんて簡単に手に入るけど
この時代はやり方が限られたからこそロマンに溢れていたのだろうな
最近市民ラジオを始めたのでとても参考になりました!ありがとうございます!
途中に出てくる短波の送信所は栃木県小山市にあったKDDの設備です。今はKDDIの小山テクニカルセンターとして運用していますが、国際通信の記念館にはかつての送信所跡があります。
カーテンビームらしきアンテナが見えますが、小山にあった北米向けですかね。
今では、その博物館は、老朽化のため、見学できません。
KDDI国際通信史料館の収蔵品の一部は、多摩センターにできたKDDI MUSEUMで展示されています。
今のauやん
周波数を変えながら電波の反射時間をオシロにプロット、フィルムを撮影して自動記録する装置スゴイ
戦争が終わって10年ちょっとで、都会はビルがぎっしり、エレクトロニクス技術が進み、映像技術もこんなに進んだ。復興のスピードはもとより技術の進歩がすさまじいですね。
終戦時の映像ってほんとに粗いノイズだらけのモノクロ映像の印象だけど、こんな短期間でここまで変わるとは。
インターネットのおかげで今や世界中が無料ですぐにつながる世の中になっていますが、この当時の方々の努力があってこそ、なのですよね。
交換手を使っていた頃は、電話が通じるまでにすごく時間がかかったんだろうなあ。
パリ局を呼ぶ交換手がかっこいい。記憶違いでしたので訂正します。
このお姉さんが仮に25歳だとしても現在90歳越えか。今の老人ってそんなに昔の人間じゃないぞって憶えとこう
うちの89のばあちゃんより年上かww
A really beautifully made film. The cinematography & accompanying music work so well. I love watching these films. ❤
ナレーションに使う言葉も今とは違う部分があって興味深い。「有様」って表現は使わなくなったよなあ。
この場合、近頃ですと「様子」が使われていますかね。
10:23 発音ゴリ良くて草
昔、CQ出版社のアマチュア無線雑誌の記事で、自分の発したモールスが一瞬遅れて受信できたという体験がありました。偶然にも電離層のコンディションが良く、地球を一周したそうです。無線機は送信を止めると受信に切り替わるのですが、自分が打った信号が受信できたそうです。
この映画が製作された当時は、D層という知見は無かったようですね。現在では、夜間はE層が消失するのではなく、D層が消失することになっていますよね。この映画では日中はE層で中波の電波が吸収されれてしまうとされていますが、現在はD層によって吸収され、D層が消失する夜間はE層によって反射されて遠方まで伝搬するというのが定説となっています。
電離層の話、懐かしい。夏頃の夜間にはスポラディックE層が出ますよね。BCLで勉強しました。SINPO55555
私が幼児の頃の50年前、オーストラリアにいる叔父に至急の要件があって父親がKDDに9時頃電話を申し込んで昼近くに話せることが出来ました。なんか国内電話よりかなり音が悪かった記憶がありましたが、おそらく短波を使用していたのでしょう。フランスに旅行中の伯父から電話があったことがありましたが、今考えると絶対短波では日本とヨーロッパと通信できない時間帯だったと思います。短波通信時代、電離層の関係で北米、中南米やヨーロッパ中近東など絶対直接通信できない時間帯の通信はどのように接続していたのか大変興味があるところです。ご存じの方いらっしゃいますか?
周波数によっては一日中、短波通信をすることができますよ。実際にはコンディションの良い周波数を選んで通信していたと思います。
まだ海底ケーブルがなかったころは
短波通信がメインだったんですね。
いいえ、海底ケーブルの方が先でした。 19世紀ごろには大西洋のアメリカイギリス間で海底ケーブルによるやり取りが行われました
短波通信はケーブルの繋がっていないところや、ケーブルをすっ飛ばして通信したい人が通信できるところがすごいのです。
通信システムそのものが藝術のように思えます。
ところで、多くの制御がまだ人の手で行われている、と理解しましたが、やはりヒューマンエラーなどあったのでしょうか。
50年ぐらい昔の百科辞典に太陽の寿命はあと50億年
最近の情報でも太陽の寿命はあと50億年
宇宙の時間からすれば50年なんか誤差のうちにも入らないんだなと思った
テレタイプが主流だった時代、オリンピックメディアセンターに設置されたのがオリベッティテレタイプセンター。
太陽周期は11年。現在はサイクル24からサイクル25に差し掛かってるとか。
インドから日本への愛
2024/5/13 視聴 うんなんというタイミングの時におすすめに出て来たw
国際電話は最近まで有人交換所だったんだ
11:25辺りからウルトラセブン感が満載です。
短波通信電話の初期の
頃は1分100円で
1カ月の給料と同じだったとか((((;゜Д゜)))
Eスポ とか異常伝播なんて、楽しんでるけど
プロの通信の世界じゃ
大変な事 でも
電離層反射ありがたい
太陽に 電離層 に 感謝して HFの運用します
ミニコンも衛星通信も無い時代の観測や通信のシステムはカッコイイですね・・・(´・ω・`)
KDD(国際電信電話)のお仕事ですかね。今では通信衛星で通信するのでこんな大がかりな装置は要らないですね。当時は、国名と番号を交換に伝えて掛けてもらってたように思い出されますね。また、日本は☎代も高くかかってましたから、米国から掛け直してましたかな。
短波のよい点は、設備工事が、低予算で、出来るが、他の電波を混信し易い。
海底ケーブルは、設備工事が、高くなるが、混信し難い。
⭐️
アマチュア無線の世界ですね。CQDXCQDXCQ and standing by.
私も又聞きなので真偽は保証しかねますが、遙か昔、電波は周波数が高くなるほど到達しづらくなるという定説があったそうです。しかしアマチュアが短波で遠くと交信できることに気づき、電離層の発見に至ったそうです。私もアマチュア精神で未開拓の領域に挑んでみたいのですが、なかなか難しいです。
9:23
RTTYか~
夜中にラジオを聞いてるとピーピーピーと喧しかったのは此のせいだったのかぁ!デジタル通信に替わったから無く為ったとか言ってたけど、良く分からないなぁ敗戦から未だ10年ちょっと位かな?凄く復興してたんだねぇ俺は無能だけど日本人は偉いなぁ
ラジオ放送帯域で実験するとは考え難く、本実験とは無関係の信号でしょう。
電信通信(CW)をAM復調した際、BOF発振によってビート音になることがあります。
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1465472659
ja.wikipedia.org/wiki/BFO
勿論、ラジオ放送帯域での電信通信は行われていませんが、
近隣に強力な電波を発するアマチュア無線局がある場合など、
イメージ受信や混変調歪により異なる周波数の電波を受信してしまいます。
また、現代でも短波帯の国際放送に対し都合の悪い国家によるジャミング(妨害)
行為が行われています。
ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E4%BF%A1%E5%A6%A8%E5%AE%B3
今、起こってる現象だ!
この頃は、見れば分かる物が大多数だと再認識。
今は見ても意味が無いものが大半。デバイスはnmサイズ。
動作の基はソフトウエア―。
10:23 サムネ
CQ DX
「所謂、デリンジャー現象」と言われましても、それが何かわかりません。
このタイプの科学映画は、高校生を対象として1992年頃まで制作されていました。1955年当時の高校生は、「概ね」、昭和12~15年生まれ(旧制中学校、高等女学校などからの編入者がまだいた頃のため。旧制中学校、高等女学校卒業では現在の「高卒」に概ね1年足らないことから、旧制中学校、女学校卒業者は概ね3年次に編入して現在の高卒資格を得ていた。)、高校は普通科と職業科が半々、高校進学率は合わせて約30%で、普通科の卒業者は、そのほぼ100%が大学進学という、高校はまだ「エリート」の行く学校でした。だからこの当時の高校の学習内容は高度、物理や地学で「デリンジャー現象」は教えられていたことから、「所謂、デリンジャー現象」なわけです。(2024年現在、この当時の人は84歳以上ですが、その当時の高卒のおじいちゃん、おばあちゃんは、だから今でも凄かったりします。)その後、高校教育の普及に伴い、高校の学習内容が「一般共通化」したことから、1980年頃からの科学映画は、高校生以上ならば、誰が観てもわかるようになっています。
Я восхищён